アイルトン・セナ、3月21日は61歳の誕生日。『勝つためにはどんなことでもする男』でした!

ドライバー列伝
© Planet F1 Twitter
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サーキットでは決して良い人では無かった、でもそこが好きでした。

存命なら、ブラジル大統領としてコロナに勝つため戦ってたかもですね。

 

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本日3月21日、アイルトン・セナの誕生日です。

家族や友人以外で、こんなにはっきり誕生日や命日を覚えているのはセナくらいかもしれません。

それくらい、管理人にとっては永遠のヒーローです。

 

でも若いファンの方も増えて、セナのことを知らなかったり、名前しか知らないファンの方も多いはずです。

でもインターネットが普及したこの時代、どんなレース人生だったのかなどはググればすぐに出てくると思います。

 

なので、あまり他では書いて無いような管理人独自の想いを今日は書きたいと思います。

でも最初に言っておきますが、あくまで個人的見解ですので(笑)

 

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サーキットでは『決して聖人君子ではない』

© F1 in the 2000s Twitter

こちら有名なシーンです、1990年日本GP・鈴鹿の1コーナー。

セナがプロストに200km/hを超えるスピードで、わざと体当たりクラッシュした瞬間です。

 

© F1 in the 2000s Twitter

こちら、同じく鈴鹿、1993年日本GPです。

先頭を走るセナと、周回遅れなのに道を譲らなかったり、抜き返したりしたエディ・アーバインです。

レース終了後に、セナはアーバインのピットに文字通り殴り込みに行き、

『2度と危険な走行するんじゃないぞ!』とパンチをお見舞いしたそうです。

 

これらのエピソードからも、セナは決してサーキットでは良い人では無かったです。

 

SNSが発達し価値観も変わっている現代であれば、もしかしたらアンチファンも相当な数になったかもしれません。

 

『危険に対する考え方』はジャイアン(笑)

古くからのファンにはこちらも有名ですが、1960~70年代の3度のチャンピオンであるジャッキー・スチュワートさんと、『危険なドライバー』について議論したシーンです。

 

日本GPでのセナとプロストのクラッシュに対して、

セナは危険なドライバーである』という批判をしていたスチュワートと、

次戦オーストラリアGPで直接議論したときの動画です。

 

『セナは危険すぎる』と主張するスチュワートに対し、

『隙があって飛び込まないようじゃF1ドライバー失格だ』と主張するセナ。

両者の言っていること、おそらく両方正解で答えが無い議論です。

 

© F1_Historical Twitter

しかし・・・その1年半後、こちら1992年フランスGP。

セナのインに飛び込んだミハエル・シューマッハ、残念ながら両者クラッシュしてしまいます。

怒り心頭のセナ、レース後にはシューマッハの元に駆け寄り、このように説教が始まったのでした。

 

『自分は危険を顧みずインに飛び込むのは許される。でも他人が自分を危険に晒すことは絶対に許さない。』

まさにジャイアン的発想です(笑)

もちろんスチュワートとの対談から1年半以上経ち、経験を積んだり、考え方が変わった影響もあるでしょうけど。

 

悪く言えば、

  • 『ワガママであり自分勝手』

良く言えば、

  • 『ストイックに何をしてもF1の頂点を目指す』
  • 『頂点の座は決して誰にも譲らない』

サーキットではそんな人間性だったのがアイルトン・セナだと思っています。

 

なので当時フジテレビの中継で、セナが聖人君子で、ライバルのプロストやシューマッハは悪玉ボスキャラ的な位置づけで実況されていたのによく違和感を感じていました。

 

管理人はセナが良い人だから好きだったのではなく、

  • 『勝つためには、どんなことでもする』
  • 『良い人ではチャンピオンになれない』
  • 『そして、信じられないくらい速い』

こんなところが大好きでした!

 

個人的ベストシーン『1993年イギリスGP』

そんなアイルトン・セナのレースは、記録にも記憶にも残るものばかり。

どれか一つのレースなんて選べないのですが、そんな中で管理人がもっとも印象に残っているシーンとしてはこちらです。

『1993年イギリスGP プロストを数周ブロック』

 

始めてご覧になる方もいるかもしれません。

多少オーバーかもしれませんが、現代のF1のマシン戦闘力で例えて言うと、

『ルノーに乗りながらも、数周に渡りメルセデスを抑えて走った』という感じでしょうか。

 

とにかくセナの正確無比で、冷酷なまでのブロック、何があっても諦めないドライビングが凄い。

そして、ライバルのプロストが見事に接触しないでいるのも凄い。

 

ちなみにプロストに抜かれたあと、その後ろにいたシューマッハには割とあっさり抜かれます。

このことからも、セナとプロストがお互いを良く知り、そして心の中では敬意を抱いていたからこそ、成立した名バトルだったのではないでしょうか。

 

でも現代F1だと・・・危険走行でペナルティですかね(笑)

 

生きていれば・・・ブラジル大統領?

© Planet F1 Twitter

もし生きていれば、還暦も過ぎた61歳です。

若い頃しか知らないので、その年齢のセナの想像ができません(笑)

 

恵まれない子供たちへの寄付や慈善活動を積極的に行っていたことが、死後に明らかにされています。

現役時代もブラジルへの愛国心溢れる発言も多かったので、もしかしたらブラジル大統領になっていたかも、なんてことをよく言われていました。

もしセナが大統領だったら、現大統領とは異なり、コロナに勝つためには何でもやっていたのかもしれませんね!

 

でも個人的には、大統領としてよりも引退後もサーキットでセナの姿が見たかったです。

例えばホンダのアドバイザーになって、今もサーキットでセナvsプロストの代理対決が見られたり。

大好きな飛行機のラジコンで遊ぶ生活をしながら、たまにサーキットに現れる姿を見せてくれたり。

何年かに一度は、鈴鹿の日本GPにゲストでやってきてトークショーを行ったり。

 

どれも叶わない夢ですが、セナの魂は今もF1に生き続けています。

そんなF1に、また新しい2021年シーズンがまもなくやってきます。

セナのことが好きだった古くからのファンも、セナを知らない若いファンの方も、

セナの時代に負けないくらい魅力的な現代のF1を楽しんでいくこととしましょう!

 

以上、61回目の誕生日、セナについて想うところについてでした!

 


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