F1通算15シーズンのうち、なんと6シーズンが『22』。
唯一のポールポジションも『22』でした。
来期からF1デビューする角田裕毅選手が、カーナンバー22を選択したことが先日ニュースになっていました。
F1に参戦するドライバーが、自分の好きな番号をカーナンバーにできる制度が2014年から導入され、新たにデビューするドライバーが、どんな番号をどんな由来でつけるのか、非常に楽しみですよね。
『22』ですが、これは以前ジェンソン・バトン選手が選択していた番号です。
さらに佐藤琢磨選手のスーパーアグリ時代だったり、ルイス・ハミルトンの最初のチャンピオン獲得番号であることなど、併せてニュースにもなっていましたよね。
しかし、管理人としては、、、
F1を見始めた当初ずっと何年も『22』をつけていた、アンドレア・デ・チェザリスがまず真っ先に思い浮かんでしまいました(笑)
- チェザリスとバトンって、どっちの方が多く『22』を付けたのか?
- 他にも『22』を多くつけてF1を戦ったドライバーがいないのか?
少し気になってきたので、さっそく調べてみることにしました。
カーナンバー『22』の歴史
年度 | ドライバー | チーム |
---|---|---|
2021年 | 角田裕毅 | アルファタウリ |
2020年 | 不在 | |
2019年 | 不在 | |
2018年 | 不在 | |
2017年 | J.バトン | マクラーレン |
2016年 | J.バトン | マクラーレン |
2015年 | J.バトン | マクラーレン |
2014年 | J.バトン | マクラーレン |
2013年 | J.ビアンキ | マルシャ |
2012年 | P.デ・ラ・ロサ | HRT |
2011年 | N.カーティケアン | HRT |
D.リカルド | ||
2010年 | P.デ・ラ・ロサ | BMWザウバー |
N.ハイドフェルド | ||
2009年 | J.バトン | ブラウン |
2008年 | L.ハミルトン | マクラーレン |
2007年 | 佐藤琢磨 | スーパーアグリ |
2006年 | 佐藤琢磨 | スーパーアグリ |
2005年 | 不在 | |
2004年 | 不在 | |
2003年 | 不在 | |
2002年 | A.ユーン | ミナルディ |
2001年 | J.アレジ | プロスト |
H.H.フレンツェン | ||
2000年 | J.ビルヌーブ | B・A・R |
1999年 | J.ビルヌーブ | B・A・R |
1998年 | 中野信治 | ミナルディ |
1997年 | R.バリチェロ | スチュワート |
1996年 | L.バドエル | フォルティ・コルセ |
1995年 | R.モレノ | フォルティ・コルセ |
1994年 | 不在 | |
1993年 | L.バドエル | ローラ |
1992年 | P.マルティニ | スクーデリア・イタリア |
1991年 | J.J.レート | スクーデリア・イタリア |
1990年 | A.デ・チェザリス | スクーデリア・イタリア |
1989年 | A.デ・チェザリス | スクーデリア・イタリア |
1988年 | A.デ・チェザリス | リアル |
1987年 | G.タルキーニ | オゼッラ |
1986年 | C.ダナー | オゼッラ |
A.バーグ | オゼッラ | |
A.カフィ | オゼッラ | |
1985年 | R.パトレーゼ | アルファロメオ |
1984年 | R.パトレーゼ | アルファロメオ |
1983年 | A.デ・チェザリス | アルファロメオ |
1982年 | A.デ・チェザリス | アルファロメオ |
1981年 | M.アンドレッティ | アルファロメオ |
1980年 | P.ドゥパイユ | アルファロメオ |
V.ブランビラ | ||
A.デ・チェザリス | ||
1979年 | D.デイリー | エンサイン |
P.ガイヤール | ||
M.スレール | ||
1978年 | D.オンガイス | エンサイン |
L.レオーニ | ||
J.イクス | ||
D.デイリー | ||
N.ピケ | ||
1977年 | C.レガッツォーに | エンサイン |
J.イクス | ||
1976年 | C.エイモン | エンサイン |
1975年 | G.ヒル | エンバシー |
L.シュトメレン | ||
1974年 | L.フォン・オペル | エンサイン |
V.シュパン | ||
M.ワイルズ |
F1においては、1974年から年単位で固定ナンバーとなったので、まずそれまでの歴史を年表にしました。
1人で何度もつけている場合や、年途中での交代により1年で複数人発生したり、不在の年などもあります。
数えてみると、カーナンバー22は角田裕毅選手で42人目のドライバーであることが解りました。
ではこの中で最も多く『22』をつけたのはどのドライバーでしょう?
ランキングを集計してみます。
カーナンバー『22』 ランキング
順位 | 回数 | ドライバー | 年度 |
---|---|---|---|
1位 | 6回 | A.デ・チェザリス | 1980/82/83/88/89/90 |
2位 | 5回 | J.バトン | 2009/14/15/16/17 |
3位 | 2回 | 佐藤琢磨 | 2006/07 |
J.ビルヌーブ | 1999/2000 | ||
L.バドエル | 1995/96 | ||
P.デ・ラ・ロサ | 2010/12 | ||
R.パトレーゼ | 1984/85 | ||
J.イクス | 1977/78 | ||
D.デイリー | 1978/79 |
(調査条件)
- 固定ナンバー制度が始まった1974年以降を調査
- 1年単位で回数をカウント
- スポット参戦や年度途中の参戦もカウントする
調査の結果、栄えある1位は・・・アンドレア・デ・チェザリス選手でした!
3チームで6回に渡ってカーナンバー22で戦っています。
当時は所属チームごとに番号が割り振られていて、ドライバーが選択はできませんでした。
なので自ら選択する固定ナンバーのジェンソン・バトンを上回る結果とは驚きです、よほど縁のある番号だったのでしょう。
チェザリス、唯一のポールポジション時も『22』
このチェザリス選手、『壊し屋』の異名が示す通り、
F1ドライバー史上最もリタイアが多いドライバーとして有名です(笑)
しかしキャリア晩年はベテランらしい手堅い走りを何度も見せてくれましたし、
若い頃にはポールポジションを獲得するなど速さも随所に魅せてくれたドライバーです。
こちらの写真が1982年アメリカ西GPです、
この唯一のポールポジションもカーナンバーは『22』であったことが解ります、やっぱり縁起のいい番号なのでしょう。
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カーナンバー『22』の歴史を見てきました。
角田選手がジェンソン・バトンと同じ『22』を選択したことがニュースになっていましたが、
実はミスター『22』は、チェザリス選手だったことが解りましたね。
だからどうなんだ、とはツッコまないでください(笑)
カーナンバー『22』のこれまでの一覧表を見ると、F1チャンピオンやF1勝利ドライバー、また濃いキャラクターのドライバーが多く並んでいることが解ります。
ぜひ角田選手にはチェザリスの6回の記録を軽く抜くくらい長期間F1で活躍してもらい、新たな『22』の歴史を作ってほしいと思います。
以上、カーナンバー『22』の歴史についてでした!